戦国時代に生きた武将のことを、我々は直接知ることができません。

しかし、後世の記録や歴史小説から、武将たちがどんなエネルギーを強く持ち、どんな価値観だったかを推察することは可能。

ひとのエネルギーと、それに付随する考え方や行動の特徴は不変、時を経ても変わってないのです。

 

この章では、皆が知り、ある程度の共通イメージを持っている戦国武将をハタフク分析することで、直接見なくても第三者の印象から分析する力を鍛えましょう。

 

 

タカ 織田信長

信長と直接親交のあったイエズス会の宣教師ルイス・フロイスは信長の人物像を下記のように書き残しています。

 

『常に武技を好み、粗野である。

戦を好み、修練に励み、名誉心に富み、正義に厳格であった。

性急な性格ですぐに激昂するが、普段は大人しかった。

人から侮辱されると許してはおかなかった。

人情味と慈愛を示すこともあった。

人々からは異常なほどの畏敬を受けている。

決断力に富み、戦術に巧みであるが規律を守らず、家臣の進言に従うことはほとんどない。

自宅は清潔で、綺麗好き、身分の低い家臣とも親しく話をした。

難しい事に当たるときは大胆不敵で、家来たちは信長の言葉に服従した。

人と語るときには遠回しな言い方を嫌う。

信長は稀に見る優秀な人物で、優秀な司令官として、賢明さを持って国を治めていたのは間違いない。』

 

いくらか優しさが垣間見える記述もありますが、信長のタカっぷりが分かります。

 

 

血縁、もしくは先祖代々つかえてきた家系でないとなかなか重要なポストに就けなかった当時、農民出身の木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)だろうと、浪人だった明智光秀だろうと、忍者出身の滝川一益だろうと、信長は実力さえあればどんどん採用していきました。

 

一方、先祖代々からの家臣だろうと、実力のないものは追放するなど、能力第一主義の人事だったと言われています。

「これまでのしきたりなんて関係ない!」と言わんばかりですね。

 

また側近には軍師や参謀的な人物はおらず、自ら兵法を学び意思決定していたそう。

これだけの人物で参謀がいない事例はめずらしく、これも他人の意見に従うことを好まず、自分で意思決定したいというタカエネルギーの表れだったのでしょう。

 

 

商業を発達させるため現在で言う『経済特区』を作ったり、つねに時短を考え行軍速度をあげるため道を整備するなど、公共事業にも活発。

 

既存の枠にとらわれず様々な新体制・改革をおこなったそうです。

 

 

そして有名な『桶狭間の戦い』でも、数多くのタカらしさを伺えるエピソードが。

 

明け方、今川軍が攻めてきたという情報が入ったとたん、わずか6騎、雑兵 200 名ほどの少数で迅速に出陣したそうです。

 

緊急事態にはそれぞれ軸となっているエネルギーが強く表出します。

この行動力、スピード感も、信長がタカ気質であったことを裏づけるエピソードですね。

 

 

ハト 徳川家康

『家康の宝』という、いかにもハトらしいエピソードがあります。

 

名のある茶道具をコレクションする趣味のあった豊臣秀吉。

あるとき彼から

「あなたの宝物も見せてくれ」

と言われ、それに対して家康は

 

「私は片田舎の生まれ、何も珍しいものは持っておりません。ただ、私のために命をかけてくれる武士が五百騎ほどおり、これこそ何にもかえがたい宝と思っております」

 

と答え、これには秀吉も、何も言えなくなってしまったそう。

秀吉の自慢勝負に乗らず、謙虚で控えめ、まさに『ザ・ハト』な回答です。

 

そして実際、家康は部下に恵まれ、特に『三河武士団』と呼ばれた、故郷三河国から仕えていた武士たちはとんでもない強さを秘め

「主君家康の為には火の中水の中へもいとわず命を惜しまぬ武士」

とまで言われ、日本全土にその名を広めていました。

 

家臣に全幅の信頼を寄せていたからこそ、家臣も家康を信頼し、そのポテンシャルを最大限に発揮していたのでしょう。

 

 

また家康には、部下の話をよく聞いたというエピソードもあります。

 

家臣が、城をより繁栄させるための施策を家康に提案してきたところ、すでに実施されていたりイマイチ使えない内容だったりしたときも、家康はしっかりと耳を傾け、実施を検討してみると伝え、感謝を述べ、今後も気づいたことはどんどんアドバイスをくれと言いました。

 

そのやり取りを見ていた家臣から

「なぜ凡庸で使えない施策にまで耳を貸すのですか」

と問われたところ

 

「たしかに今回は使える提案ではなかったかもしれない。だが大事なことは家臣が城の繁栄を考え自発的に提案してきてくれたこと。次はもっと良い提案をしてきてくれるかもしれない。だから私は家臣の意見や提案はすべて聞きたいのだ」

と答えたそう。

 

実際、家康は家臣の意見や提案はすべて聴き、良案は積極的に採用したと言われています。

 

たとえ採用されなかったとしても、家臣としては上司が最後まで聴き遂げてくれるので、そのこと自体が彼らの喜びとなり、さらにいい提案を考えてきてくれるという好循環が出来上がっていたようです。

 

 

野心を秘めるもそれを外に出さずに、虎視眈々と機会を伺う。

軍才ではなく、調略ちょうりゃく(政治的な計略)と密約で敵を切り崩す。

徳川家康には『腹黒い』『老獪』といったマイナスイメージをお持ちの方も多いかもしれません。

 

しかし見方を変えると家康のエピソードからは、いぶし銀のような信頼感や安心感が伝わり、平和や調和を望み、和を尊ぶ精神を感じる事ができます。

 

 

クジャク 豊臣秀吉

百姓から出世して天下統一を果たした豊臣秀吉は、機転のきくアイデアマン。

人の心をつかむのがうまい『人たらし』だったと言われています。

 

寒い朝に信長の草履を懐で暖めたというエピソードをはじめ、1か月足らずで城を築き上げたり、運搬可能な組み立て式の黄金の茶室などなど、奇抜なアイデア満載のクジャクらしい史実に事欠きません。

 

 

清州城の城壁修理をわずか3日で終わらせた(諸説あり)という史実には、秀吉のクジャクっぷりが詰まっています。

 

信長の居城、清洲城の石垣が台風で崩れ、信長は最初ある家臣に命令し修復工事にとりかかりました。

しかし作業員たちはやる気がなく、工事は遅々として進まなかったそうです。

 

そこで信長は、秀吉に現場監督を任命。

監督となった秀吉がまずしたことは…作業員たちへビジョンを示すことでした。

 

自分たちを守ってくれている領主信長さまの城が一大事だということ。

早く修理しなければ、敵が攻めてきたとき自分たちの家族までも危険にさらされること。

 

それから彼らを 10チームに分け、城壁も 10 ヶ所に区分けし、早く完成したチームには信長さまから褒美をもらえるということを語り、さらに嫌いなもの同士は一緒にならないようにとチーム分けの工夫まで。

 

そして酒をふるまい、作業員たちを鼓舞。

現代でいうところの『飲みニケーション』ですね。

 

やる気になった作業員たちは夜通し働き、秀吉自身も夜通し現場を回って彼らを褒め、励まし、活性化に努めました。

 

結果、非常に短期間で工事は完成。

その素早さに驚いた信長は自ら現場に出向き、一番早く完成させたチームにだけでなく皆へ褒美を分け与えたそうです。

 

まさにクジャク的組織への貢献

『ゴールに向かって動機づけしモチベーションを上げる』

『自分が中心になって盛り上げる』

『奇抜なアイデアで新しくユニークなものを生み出す』

をそのまま体現したエピソードと言えるのではないでしょうか。

 

 

フクロウ 明智光秀

光秀の一般的なイメージといえば、神経質でインテリ、内向的で冷静沈着。

 

宣教師ルイス・フロイスも、光秀に関してはこのような記載を残しています。

 

『ほとんど全ての者から快く思われていなかった。

狡猾さを信長に買われていた。

裏切りや密会を好み残酷で独裁的、計略と策略の達人。

忍耐力に富む、築城技術に長ける』

 

…最後の一文以外、ほぼディスってるようにしか聞こえませんが(^_^;

 

良くも悪くもフクロウの特徴が列記されており、光秀のイメージには当時から現代にいたるまで一定の偏りがうかがえます。

 

 

光秀が発布した『家中軍法』と呼ばれる軍法には

「三百石から四百石のところは、甲をかぶったもの一人、馬一頭、指物三本、槍三本、幟一本、鉄砲一丁を出す」

など、百石から千石まで賦課ふか(税金などの割り当て)基準が非常に細かく記載されていました。

フクロウのエネルギーが、マニュアル作成スキルに発揮されていたようですね。

 

 

歴史に詳しく、和歌や茶をたしなむ教養人、行政官僚としても優秀。

代わりに、人の心が読めない、人間の感情に鈍感という欠点があったそう。

 

人を愛し、思いやり、大切にする豊臣秀吉に討たれたのも…当然の成り行きだったのかもしれません。

 

 

また光秀といえば本能寺の変ですが、この事件は現代でも深い謎に包まれたままです。

 

怨恨?野望?保身のための謀叛むほん…?

光秀首謀説以外にも複数の黒幕説があり、いまだに定説がありません。

 

日本史上においてもっともインパクトある事件の一つでありながら、数百年たっても全容が解き明かされないということ自体、フクロウ光秀との知恵比べをさせられているように思えてきます。

 

 

ちなみに最新研究で本能寺の変は、光秀が単独で起こしたという説が有力なようです。

自分軸が強く探究者気質だった光秀は、その知的好奇心から、自分のチカラ(計略・策略)が信長にどこまで通じるのかを試してみたくなってしまったのかも…

なんて、ハタフク観点からの歴史考察も面白そうです。

 

 

まとめ

基本的に、勝つか負けるかの戦国時代。

武将たちは全員『達成』のエネルギー、タカ気質が強いと言えます。

 

しかし、そのタカに紐づいた各々の価値基準、もしくは、なぜ達成を求めるのかというエネルギーを知ることで、その人物が立体的に見えてきます。

 

そして、こういった行動原理から推察することをどんどんやっていくと、自分の中でハタフクがどんどん鍛えられ、現実で相対する人たちを見る力も養われていきます。

 

 

 

この章の課題

ご褒美:この課題をクリアしたら…
                   ♪

 

以下に挙げる歴史上の偉人をハタフク分析してみましょう。

※歴史に名を遺すほどの人物は、誰もがタカ(達成)のエネルギーを強く持ち合わせている。二軸目のエネルギーを視ることで、その人物の個性が見えてきます。

 

 

【武田信玄】

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【上杉謙信】

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【坂本龍馬】

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【西郷隆盛】

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【アインシュタイン】

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【マハトマ・ガンジー】

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【アドルフ・ヒトラー】

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【ナポレオン・ボナパルト】

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【ジャンヌ・ダルク】

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